「陶板画」加藤土師萌水彩画 コペンハーゲンにて 工場 瀬栄陶器

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「陶板画」加藤土師萌水彩画 コペンハーゲンにて瀬栄陶器額  縦29㎝ 横37.5㎝陶板 縦15.㎝ 横15㎝加藤土師萌は、昭和33年春、世界一周の旅に出て、その折々にパリ、ベニスをはじめヨーロッパ各地でスケッチした水彩画を帰国後瀬栄陶器で陶皿にして市販した。これはコペンハーゲンの川辺からスケッチした水彩画を陶板として額装した数少ない品です。(陶歴)明治33年(1900) 愛知県瀬戸町(現 瀬戸市西本町)に生まれる。(本名は一。) 大正15年(1926) 岐阜県陶磁器試験場に入る。 昭和12年(1937) パリ万国博覧会にて「指描沢瀉文大皿」がグランプリ受賞。 28年(1953) 東京藝術大学美術学部講師となる。 30年(1955) 日本工芸会が結成され常任理事となる。 33年(1958) ブリュッセル万国博覧会にて「青白瓷壺」がグランプリ受賞。 36年(1961) 重要無形文化財「色絵磁器」に認定。(人間国宝) 42年(1967) 紫綬褒章受章。 43年(1968) 68歳にて逝去。 皇居新宮収蔵 : 萌葱金襴手菊文蓋付大飾壺 瀬栄陶器株式会社には加藤唐九郎共に技術面での指導をしていた。瀬栄陶器(SEYEI)は当初1896年(明治29)瀬栄合資会社として瀬戸・北新谷の丸窯製品を取扱う機関として設立された。1900年(同33)輸出陶磁器の取り扱いを始め、1919年(大正8)水野商店と合併以来輸出向け陶磁器の取り扱いを主力とし、1925年(同14)絵付工場の増設と深夜の余剰電力を活用しての上絵付電気炉の開拓により陶磁器メーカーの色彩を強め、当時はノリタケと並ぶ勢いを示していた。そして守山、瀬戸に工場を設立して製造一貫体制を確立してからは東南アジア・中国など外地に販売店を設立して輸出ルートを確立していった。この輸出陶磁器と並行して和風洋陶の国内販売にも力を入れ全国にその販売網を敷いていき、1967年(同42)組織を株式会社に改め瀬栄陶器株式会社となった。なお陶板画には、武者小路実篤画のものが多く残されているが、これは当時の社長をしていた水野保一と意気投合した実篤が「僕の絵を陶器に絵付することを一任します」との一札を入れ版権を瀬栄陶器に渡したため額皿から食器まで量産されたことによります。(「やきものの本」瀬栄陶器会社編に記載)

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